「職場の教養」(一般社団法人倫理研究所発行)の「物の上を跨(また)ぐな」を輪読。

ノコギリの上を跨ごうとした若者を、腕利きの大工さんが「こらっ!」と制止する。大工さんはとても人一倍道具を大事にし、いい仕事をすると評判なのだそうだ。大事にするから道具もそのことを分かってしっかり働いてくれたのかな-といったニュアンスだった。

輪読の後、長年使ったマイカーの話や、プロは一流の道具を使うことなど、エッセイをめぐって感想を述べ合った。高価な道具はプライドを生む、といった話も出た。

私は、「跨ぐな!」という言葉の背後に、道具に対する敬意、御礼、感謝の心が込められているような気がした。単に大事する以上の愛情や尊敬の念が感じられた。仕事の都合で床や石の上に置いたとしても、本心は三方の上に供えて神棚へでも奉っているような心持ちだったのではなかろうか。

そうした、自分に仕事をさせてくれる道具への感謝の心が、道具を大事にし、仕事を大事にし、自分の人生を大事にすることにつながって、「評判の大工さん」を生み出したのだろう。

ノコギリ一本のようで、事はノコギリにとどまらない。ノコギリに対する態度が、その人の人生の質、豊かさを暗示している。

人や物をバカにする心が強いか、大切にする心が厚いか。それは、道具が大事にしたお礼にすばらしい働きをプレゼントしてくれるといった次元の打算や思惑でなく、大切にせずにはおれない、自分の生き方が許さないといった深いところで大工さんを突き動かしていたように思えてくる。

戦前戦中戦後にわたって、のし紙や新聞チラシの裏の白い部分を切りためてメモ用紙に使っていた宗教家のエピソードを聞いたことがある。その人の息子さんも宗教家で、いろいろな悩みを抱えて訪ねてくる人に、「実意をこめてすべてを大切に」と語り続けて亡くなった。

今あることのお礼、自分の目を見えるようにしてくれているめがねにお礼を申し、見させてくれる目にお礼を申し、今ここでこういうことをさせてもらえているという、すべてのご都合にお礼をと語りつづけた。

足りない点や困った事に目を奪われるのではなく、多くの恩恵の中で生かされていてその上での心配事や病気なのだから、まず命やここまでこれたことのご都合お繰り合わせに対してお礼を申してから、お礼を土台にして助かりを願わせてもらうのが順序でしょうが、と丁寧に話した。

ノコギリを跨ぐ心、モノを軽んじる心は、人や物、仕事に軽重をつけて、軽いと思ったらその仕事を軽んじる生き方に人を導くように思える。

人間、限られた時間の中を生きている以上、できることには限りがある。しかしそれでも、誠心誠意一生懸命に実意を込めて、すべてのモノ、人、事柄を大切にする。するとその実意が人の行動をより輝かせ、多くの人に波及して、モノや人、すべての命を大事にする気づきの風を家族や職場、地域にわたらすのではなかろうか。

道具を跨いで平気な心は、人間を軽んじ、仕事を軽んじる心につながるだろう。そんな職場にはならないでほしいと、つくづく思う。

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